「信仰による男らしさ」

A. ゴミを持って帰らされて

 先日、ある高校生のA君が部活の帰り、一人自転車をころがし、駅まで仲間を見送りました。その時、部員たちは弁当のゴミ袋をA君の自転車にくくりつけていました。別れ際、A君はゴミを持って帰るよう言いましたが、どうしても一人だけ引き取りません。A君はそのゴミを一度自宅に持ち帰り、翌日、再び学校に持って行って返しました。今度は相手もすんなり受け入れました。
 不当に扱われたとき、毅然とした態度で、自分の権利を主張することは、クリスチャンとしても大切なことです。

B.聖書より

ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」使徒言行録16章37節
 パウロたちは、何も悪いことはしていませんでした。高官たちが、下役らをつかわして、パウロを釈放するように看守に命じましたが、パウロは、ローマの市民権を持つ自分たちを、不当に投獄した責任のある高官たちに、直接来るよう要求しました。当時、ローマ市民を侮辱するのは、死罪に価するとされていました。パウロは、堂々と、相手がその行為を恥じ、キリストの名に栄誉をもたらすようにそれに相応しく取り扱うように要求したのです。
 クリスチャンは、相手の落ち度を責めるのでなく、パウロのように筋道を立てて、自分の立つところを主張する必要があります。ここから、信仰による男らしさが生まれてくるのです。

C. 等価交換を要求した結果

 約35年前のことです。当時、ロサンゼルス郊外のコヴィーナ市に、牛込キリスト教会の佐藤陽二先生が、開拓伝道のために、個人の資産を頭金にして教会の名義で購入した一軒家がありました。その物件は、白人のバプテスト教会に隣接しており、バプテスト教会が敷地を拡張するために、先生の教会を買いたいと申し出ました。陽二先生は、すかさず、「取引は、お互いにとってメリットがあって当然だ」と言って、同じ価値のある物件を探し、元の一軒家のローンの残額も完済してくれるよう、バプテスト教会に要求しました。開拓伝道の場合、不動産のことから全て、自らの責任で行わなければなりません。それゆえに、信仰からくる強さが現われてくるのです。陽二先生は、伝道という明確な目的をもって土地・建物を所有し、固定資産税、銀行への支払いなど、この世的な義務を守って伝道していました
 結局、バプテスト教会は、近隣に、同等の面積の土地・建物を用意し、残額も全て支払ってくれました。適切に自分の権利を主張するとき、神の国の業、すなわち、伝道活動は展開して行くのです。尚、バプテスト教会が用意した物件は、市の条例により、教会として使用するのは5年という期限がつけられていたことを、先生は知らされていませんでした。結果的に5年後、物件は教会名義にしておくことも不可能となり、先生とご家族の名義の個人の資産となりました(もともと、先生が個人の資産を頭金としたもの)。かつての一軒家は現在、5棟の集合住宅となり、少しずつ家賃収入を得られるようになりました。

D.結び

 クリスチャンは、不当に扱われた場合、復讐心からではなく、相手がその行為を恥じ、キリストの名に栄誉をもたらすように、毅然とした行動を取るべきです。それが、真の意味で人を助ける行為となるのです。不当に扱われた時は、復讐せずに、キリストの栄誉のために毅然とした行動を取りましょう。信仰とは思想ではなく、生き方そのものなのです。
御翼2010年8月号その3より


  
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